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■ 9月18日 ■
 終わらない冬に抱かれて、体は芯から酷く冷えている。
 体の芯が凍り付きそうだった。
 雪景色は純白で表現されるはずなのだが、どうにも秋川拓也の目に映る雪景色は黒々としている。黒ずみ、灰色がかって、情緒の欠片も窺えはしない。実際に誰が見ても同じ景色として映るのか、それとも単純に自分がひねくれているだけなのか、拓也には判断のしようもなかったが。道路の脇には掻き出された雪が積み上げられ、泥や埃と混ざって無残な姿を晒している。
 靴底が甲高い音を立て、一瞬躓きそうになった。ほんの少しだが気温が上がったらしいと聞いたので、、そのせいで雪が溶け出したのかもしれない。
 意味のある歩みではなかった。目的地もなく家を出て、当然のように何も果たせず帰宅の途に就いているに過ぎない。意識は散漫で、視界も定まっているようなぼやけているような、靄の中を手探りで歩いているような感覚だった。実際雪は未だ降り続いているので、視界が悪いことは確かだが。
 それでも、拓也は見逃さなかった。
 数メートル先の路上、電信柱の足下に誰かが蹲っている。
 おかっぱ頭の少女だった。大きな目をくるんと動かし、不意に視線を上げて拓也の姿を捉える。
 セーラー服の上に褞袍を着込んで、一見ずんぐりとしているように見える。だが実際のところ、どちらかというと痩せ細っているようだった。頬がこけるというほどでもないが、必要以上に脂肪が削れている。こんな時代であれば誰しも似たような状態ではあったので、特に驚くにも値しない──拓也自身、飢えていないというだけで、順調に体重は下降の一途を辿っていた。
 少女の視線は途切れない。糸のように絡みつくでもなく、綿のように漂う眼差し。
 前髪を掻き上げ、拓也は渋々といった調子で嘆息した。
「どうした」
 ──関わり合いになりたくないんだけどな。
 内心で己を呪いながら、胡乱な声をかけてみる。
 明瞭な答えが返ってくるとは思っていなかったから、ひどく間の抜けた発声になった。だからどうというわけでもなく、少女もまた気にした風もない。
「F=C・r二乗/ee'」
 何の脈絡もなく──唐突に、そんなことを言ってくる。
 少女の瞳が、またくるんと回った。
「クーロムの法則がどうしたんだよ」
 微かに残されていた学業の記憶を掘り起こし、拓也は薄い瞼を更に薄くして問いかける。
 クーロムの法則──静電気の法則。
 同性の電気同士は反発し、
 異性の電気同士だと吸引する。
 拓也は軽く首を傾げた。
 少女も真似をするように首を傾げる。
 ぐぎゅっ、とゴムが潰れる音がした。
 少女はゴム製の黄色い長靴を履いた足で雪を踏みつけている。
 ぐぎゅっ。
「うん」
 少女は無意味に頷き、まるで遠慮も警戒も感じさせない動作で右手を差し出してきた。
「オニイサン、名前は?」
「秋川拓也」
「私の名前は深沢美雪」
 間髪入れずに即答する声と、そしてそれに追従する自己紹介。
 拓也はほんの少しだけ笑って、まとまりの悪い髪の毛をくしゃくしゃと掻いた。
 ぐぎゅっ。
 ゴムが雪に悲鳴を上げさせる音が響く。
「おまえ、ハピネス症候群だろ」
 美雪は大きな瞳をくるんと回して頷いた。
 ハピネス症候群。
 この世界の全ての不条理から身を守るため、世界中の人間が次々と感染し、今尚治療方法の見つからない奇病。発病した患者は皆多幸感に包まれた顔をして、どんな些細な幸せにでも大きく喜び、どんな大きな不幸にでも優しく微笑むことができるようになる。
 代償に支払うのは、正常な思考能力の欠落だった。ハピネス症候群の患者は、喜怒哀楽の感情を著しく損耗する──怒りと悲しみが抜け落ちて、そうすべき場面でも苛立つことができず、誰かの死を悼むにも困難を極める。あくまで精神的な疾患による症状なのでストレスが軽減されているというわけではなく、むしろハピネス症候群の患者は無意識的な鬱状態──幸せに微笑んではいるがひどく無感動で、外界からの刺激に対し反応が薄くなる傾向にあった。
 この少女の病状が、どこまで進んでいるのかはわからなかったが。
「拓さんは、違うの?」
「まあな」
 もう──こんなになってしまった今の世界で、正常な思考能力に意味があるのかはわからなかったが。
 それでも拓也は、ハピネス症候群に感染するのは嫌だった。
 幸せなのが嫌いなのかもしれないと、そんなどうでもいいことを考える。
 少女はまるでそれが癖であるかのようにくるんと目を動かした。眼球の表面に、渦巻きの模様が見える。ハピネス症候群患者が、外見的に見せる症状の一つだ。
 くるん。
 ぐぎゅっ。
「家が、どこだったのか、忘れちゃったんだ」
 ぐぎゅっ。
 美雪は続ける。
「拓さん、だから拓さんの家に住むことに決めた」
「クーロムの法則か?」
「異性の電気同士は吸引するんだよ」
「そういうものかもな」
 そういうものなのかもしれない。
 諦めとは最も遠く、許しにほんの少しだけ近い心の持ち様。
「さあ、拓さんの家に行こう」
 歩き出す。
 二人揃って、歩調はテンポよく。
 少しでもずれたら元に戻って、またテンポを合わせて歩き出す。
 ずれないように、
 離れないように、
 二人は二人の家を目指す。
「世界が滅びるその前に、なんでこんなお荷物を背負わなきゃいけないんだ?」
「前世でよっぽど悪いことをしたんだね、拓さん」
「前世でよっぽど悪いことをしないと、おまえには会えなかったのか、美雪」
「その通り。悪いことバンザイ」
「……バンザイ」
 世界が滅びるその日まで、あと百と十三日。

テーマ : 自作恋愛連載小説
ジャンル : 小説・文学

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プロフィール

神楽坂司

Author:神楽坂司
世界が終わる。
無慈悲に優しく、無造作に哀しく。
無意味に虚しく、無感動に冷たく。
世界は終わる。
終わりの中で初めて紡がれていく、優しくて哀しい人々の絆。避けられない終局を前にしたとき、彼らの選択はこの世界に何を残していけるのだろうか──?

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