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■ 10月16日 ■
 地獄。
 純白と深紅の双方で染め上げられる視界の中に、呆然とその単語が浮かんでいる。
 地獄。
 それはただ苦しいだけの場所ではない。責め苦を加るための場所だと思われがちだが、絶対的に間違っている──地獄とはつまり監獄なのだ。そこに囚われるのは肉体だけではない。知性も理性も囚われて、何を考えることもできなくなる。囚われているという現実が理解できているはずなのに、どうしてもそこから抜け出そうという発想が浮かんでこない。
 ある意味ではまさしく理想郷だろう――何を考える必要もないのだから。
 ただ過ぎ去っていく時間を横目に見やり、痛みに耐えて意識を投げ出していればそれで終わる。お節介な誰かが監獄を無理矢理に解放してしまうまで、甘美な地獄は続く。
 終わらないままに、どこまでも。
「……地獄みたいだね」
 お節介は背後から現れた。
 特に驚きもせず、春奈はゆっくりと首だけで振り返る。街中の交差点、いつの間にか背中に貼り付くほどの距離まで近付いていた少女は、渦巻き模様の浮かんだ眼球でじっと眼前の光景を見つめていた。セーラー服の上にどてらという、お世辞にもファッションセンスが発達しているとは言えない格好をしてはいるものの、それが妙に似合ってもいる。自分のセンスにも自信はないので、それ以上思うこともなかった。
 何より彼女は、大事な教え子の恋人──だか、恋人未満だか──なのだ。成長しきっていない子供に対し、何か一つでもいいところを探してやるのは大人の義務だと春奈は固く信じていた。
 ──ていうか私の服も変だしなぁ。
 今目の前に鏡があったら、どんなふうに映るのか。
 疲弊し諦めきった顔をしたノッポの女というのは、あまり見栄えのするものではないと思う。付き合っている少年は綺麗だと言ってくれる顔も、自分ではあまり気に入っていなかった。もっといかにも『女の子』的な、いわゆるアイドル顔というものに昔から憧れている。
 意志とは無関係に伸びた身長も気に入らない。結局自分の容姿について期に行っている部分などほとんどないのだ。冗談めいた思考を繰り返し、うなじの辺りで適当に括った髪を指に絡める。
「春さん、今日はお出かけ?」
「ん。夕食の買い出ししようって思ってさ」
「そっか。ちなみに私はただの散歩」
 ぱん、と。
 脈絡もなく、乾いた音が響いた。
 春奈と美雪が出会った際にも、一度聞いた音だ。
 二人の視線が向かう先で、大量の赤が弾ける。降り積もる雪の白すら圧倒して、鮮血が大量に溢れ出た。
 道路の真ん中に、一人の少年が倒れている。
 すぐ側には警察官の制服に身を包んだ男が立ち尽くしていた。右手には、弾丸を吐き出したばかりの拳銃を握りしめている。
「……あと三発、弾が残ってます」
 雪の降る空を見上げ、男はぽつりと言葉を放り投げた。
 受け取る人間もいないその言葉を、春奈と美雪は静かに見守っている。
「一発は私が使いますから。あと二発は好きに使ってください」
「……そっかい」
「ごめんなさい……ごめんなさい。ごめん。ごめん──もう、この世界は……もっとずっとひどくなる……ごめん、謝ってもどうにもならないかもしれないけど。ごめんなさい。何にも知らないのに後を任せてごめん。ごめんなさい。ごめんなさい……心を込めて謝ります。ごめんなさい──ごめんなさい」
 ぱん、と。
 もう一度、乾いた音。
 自分のこめかみを打ち抜いた男の体が、ゆっくりと路上に倒れた。偶然か過分に作用することもなく、少年と寄り添うような形にはならなかったようだ。
 数十秒──あるいは数十分その場に立ち尽くし、やがて春奈は男の死体に近付いていく。何とはなしに両手を合わせ、頭を下げてから屈み込むと、握られたままの拳銃をそっと懐に仕舞い込んだ。
「地獄みたいだね。春さん」
「……そだね」
「地獄は好き?」
「冥土(メイド)ならマニア受けかもだけどなあ」
「なるほど……深いね」
 わかったような口振りで呟くと、美雪は腕組みをして何かを考え始めたようだった。いちいち口を挟む必要性も感じず、春奈は黙って次に振られる話題へと身構える。追悼なり埋葬なりするのが人道的にも正しい選択なのだろうが、何故か今だけはこの少女との会話を優先しなければいけないような気がしていた。
 突然の死を見せつけられて、混乱しているのかもしれない。そうでない理由もなかった。
「春さん」
「何さね」
「ひょっとして、諦めたか諦めかけてる?」
「……何を?」
「それは知らないよ。そんなふうに見えただけだから」
「……そっかい」
 諦めたか諦めかけている。
 指摘されて初めて気付く。
「……実は色々、諦めたいことがあんのさ」
「何を諦めたいのかな?」
「楽しいとか幸せとか、好きとか嫌いとか、苦しいとか辛いとか。そういうことを全部」
「それって普通は諦められないものだと思うけどね」
「わかってるべさ、そんなこと。だから多分、ほんとは諦めたくないんだと思うんだわ」
 同情を買いたいわけではない。
 ただ、誰かに知っておいて欲しかった。自分が何を諦めようとしていたのか──そして、自分がこれから何を手に入れようとしているのか。
 何もかも諦めてしまえば。
 そうすれば、少なくとも楽にはなれる。その誘惑はあまりにも甘美で、抗う意味などないようにも思えた。
(だけど……)
 無意味だというならば、こんな辛い世界で生きていくことこそ無意味だろう。明日へ繋がる希望もない。願いは叶わず、望みはほぼ確実に裏切られ、未来に向けた予測のほとんどは絶望に包まれている。それでも何とか生き続けているのは、特別な理由があってのことではない。
 春奈はただ、死ぬのが怖いだけだ。
 世界が滅びるというのなら、せめて最後の日まで生き残りたい。
 それぐらいの権利があると信じたかった。
「……だけどさ。全部我慢してウザい奴になるよりは、好き勝手やって死ぬ方が面白そうだなって……そう思ってるって、そういう話よ」
「自由に生きるってやつかな? 春さん」
「自由なんて言葉は大ッ嫌いだけどねー」
「そうなんだ……」
 くすくすと忍び笑いをこぼし、美雪は腕組みしたまま一人で歩き始めた。春奈を追い越し、死体の側を通り過ぎて、小さな足跡を残しながら雪道を踏み越えていく。
「自分で言っといてなんだけど、私も自由って言葉は嫌いだな。手垢がついてるっていうか、陳腐っていうか。茶髪にするのも自由だろ、とかさ。どこかのアニメだっけ? 空にふよふよ浮いてるのを自由とか言ってたのは──馬鹿みたいだよね。自由っていうのは、自分に従うっていうことだよ。たったそれだけのこと。自分が決めたら、自分に従うだけでいいんだよ。全身全霊を賭して、自分に従うんだよ」
 畳みかけるような言葉の群。
 穏やかで優しい声だけど、決して自分の意志を曲げないと決めている声。
 春奈は緩やかに息を吐いて、強張った眉根を解きほぐした。ゆらゆらと不安定に揺れながら去っていく美雪の背中を適当な視線で見送り、吹き抜けた風に体を縮こまらせる。気温は確実に低下を続けていた。もうここ最近は昼間でも氷点下を脱することは少なくなってきている。北国生まれの春奈はまだ我慢できたが、寒いのが苦手だと言っていた恋人には辛いだろう。
 赤の混じった猫っ毛と、どこか面映ゆそうに微笑む童顔を思い出す。
(……今度、あったかいもんでも作ってやるかな)
 今にも死に絶えていく世界に取り残されて。
 もしもできることがあるとしたら──それは、大切なものを大切にするという、当たり前のことだけだろう。
 当たり前のことすら出来ていなかったから、世界は終わろうとしているのかもしれないけれど。
 少年と警察官の死体を見下ろし、今更どうすることもできずに放置して歩き出す。警察に通報だけはしておいたが、いつ処理されるのかはわからなかった。少しずつ雪に埋もれていく彼らもまた、当然のことをして来なかったのだろうか?
 ──当然のこともできてないのは、私もか……。
 懐の中、服に触れる拳銃の重みが、ずしりと増した気がした。

 世界が滅びるその日まで、あと八十五日。

テーマ : 自作恋愛連載小説
ジャンル : 小説・文学

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プロフィール

神楽坂司

Author:神楽坂司
世界が終わる。
無慈悲に優しく、無造作に哀しく。
無意味に虚しく、無感動に冷たく。
世界は終わる。
終わりの中で初めて紡がれていく、優しくて哀しい人々の絆。避けられない終局を前にしたとき、彼らの選択はこの世界に何を残していけるのだろうか──?

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