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■ 10月20日 ■
 ぴちゃん──と。
 夜に落ちる、水滴の音。
 閉め忘れられた水道。
 無人の学校。
 どれだけ探しても、人の気配は見つけられない。
 ロッカーは放置されたまま。
 机や椅子は放置されたまま。
 水道は放置されたまま。
 廊下に積もった埃は放置されたまま。
 何も変わらないまま──学校は、ただ虚しくそこにある。
 ぴちゃん。
 窓硝子は濁っている。
 月の光も差し込まない教室。
 机の脇には、誰が忘れたのか鞄がかけられていた。鞄の脇には、キャラクターもののキィホルダーが可愛らしくぶら下がっている。
 まるで、誰かの帰りを待つように。
 ぴちゃん。
 ある生徒の机の中には、置き去りにされたままの教科書が詰め込まれていた。翌日忘れ物をしないための基本的なテクニックだ。もちろん教師に見つかれば怒られるのだが、それでもこうして教科書を持ち帰らない生徒の数は多かった。どうせ家で復習などしないし、何よりも登下校時に重い鞄を持って通うのは苦痛でしかなかった。少なくとも美雪は勉強なんて苦手だったし、嫌いだったから、せめて通学だけは楽しい気分にしたかったのだ。
 だから、何もかも置き去りにしている。
 何の意味があるわけでもないけれど。
 意味のないことは、全て重要なことではないと──そんなふうには、思えない。
 ハピネス症候群にかかっていなかったとしても、美雪はそう思えなかっただろう。
 ──何となく、だけどね。
 無言で見渡す教室。
 かつて通っていた学校。
 もう誰も通っていない学校。
 美雪のクラスメイト達は、もう誰も学校に残ってはいなかった。
「拓さんのところとは違うね」
 独白し、諦めだけで形作られた苦笑いを浮かべる。美雪の言葉に反応を示す人間はいない。夜の闇だけがかろうじて耳を傾けているが、まさか返答のあるはずもなかった。彼女自身、それを期待していると言ったら嘘になる。
 深夜に家を抜け出してきたことに理由はなかった。最初から学校に来ようと思っていたわけでもない。十分か二十分、適当に散歩でもしようと思っていた。
 だが、気が付けば美雪は夜の学校を訪れていた。かつて自分が日常の大半を過ごしていた場所。正確な位置は記憶になかったのだが、不思議と一度も迷ったりはしなかった──あれだけ迷いに迷って、結局自宅には帰り着けなかったというのに。
「私も成長したんだね」
 その場にいるもう一人の自分に話しかけるような心地を味わう。雨の灯り始めた夜空は、震えるほど澄んでいた。
 窓硝子の隙間から染み込んでくる冷たい空気に身を縮こまらせ、美雪は改めて教室の中を見回した。黒板の隅には、未だに日直二人の名前が書かれたままになっている。その二人と特に親しいわけではなかったが、何故か無性に会いたくなった。
 無性に、会って話がしたい。
 クラスメイト達と、友達と、知り合いでも知らない人でも。厳しくて嫌味で嫌いだった体育の先生も、厳しいけれど優しくて好きだった数学の先生も、年に数回の始業式か終業式でしか顔を見たことのない校長先生も。
 誰とでもよかった。
 誰とでも話したかった。
 話題なんかどうでもいい。天気のことでも好きな食べ物のことでも、サッカーについてでも宝くじの当選金の使い道でも野良猫対策についてでも──何でも。
 伝えたいことが溢れている。
 伝えたい人間が沢山いる。
 自分の知っている全ての言葉を、残らず他人に教えなければならないという錯覚に駆られ、美雪は意味のない焦燥を味わっていた。こんなことで焦っても意味がない。わかりきった心の中の呟きは、しかし物思いを止めるほど強いものでもなかった。
 無人の教室には、うっすらと埃が敷き詰められている。曇ガラスの向こうにある廊下も似たようなものだった。以前ならば、放課後は必ず清掃の時間が決められていたものだ──毎週ごとに、クラスの各班が交代で掃除をしていた。
 友人達は面倒だ何だと文句ばかり言っていたが、美雪は案外掃除の時間が好きだった。雑巾がけで綺麗になっていく教室の床を見るのは気分がよかったし、友人とくだらないお喋りをしながらゴミ捨てに行くのは楽しかった。
 楽しかった。
 幸せだった。
 今と同じくらい楽しくて、今と同じくらい幸せだった。
 拓也と過ごす毎日と同じくらい──学校が、大好きだった。
「──拓さんは、どうだったのかな」
 崩れ落ちそうな笑顔のまま、溜息にも似た呟きをこぼす。波間に漂う浮き草のようなあの少年がどんな学校生活を送っていたのか、美雪には想像もできない。本人曰く、一人も友達のいない学生生活だったらしいのだが、その割には妙な人脈がある──今でもたまに誰かから電話がかかってくることがあったし、それが同じ相手であった試しもない。きっとあの人恋しがりの少年は、彼なりに周囲と折り合いを付けて生きてきたのだたろう。
 一人で生活できないことを知っているのに、一人が好きだから。
「……多分、今と何にも変わらないんだろうな──拓さんは」
 独白し、自分の言葉に失笑する。普通の人間ならばともかく、相手はあの秋川拓也なのだ。平凡な日常だろうと世界滅亡の危機だろうと、そんなことでいちいち自分の生活態度を変えるはずがない。
 拓也はいつもの苦笑いで学校に通い、いつもの仏頂面で級友と二言三言言葉を交わし、いつもの妙な真面目さで授業を受けていたのだろう。本人に言えば「俺はそこまで単純な人間じゃないぞ」と反論するだろうが。
 辿り着いた結論は、美雪にとって充分満足できるものだった。
 微笑みながら教壇の表面を軽く手で撫で、ゆっくりと教室を後にする。
 目はすっかり暗闇に慣れていた──そうでなくとも、廊下には微かな星明かりが漏れている。足下に気を付ける必要もなかった。左右にふらふらと揺れながら、美雪は入ったこともない教室を次々と追い越していく。
「……うん?」
 渡り廊下を越えて隣の校舎に移ろうとした美雪の目に、一人の少年の姿が映り込んだ。渡り廊下のちょうど真ん中の辺りに立ち尽くし、胡乱な眼差しでこちらを見ている。注がれる視線の重さに、一瞬知り合いかとも思ったが、美雪はその少年に見覚えがなかった。
 だが──見覚えがあってもなくても関係ない。
 今は、話せれば誰でもいいのだ。
「今晩は」
 夜の暗さに押し潰されてでもいるのか、妙に肩を縮こまらせた少年に、美雪は遠慮のない挨拶を投げかけた。どうやら自分で思ったよりも躁状態になっているらしい──相手が反応に困っている間に、次の言葉が口から滑り出している。
「どうしたの? ここの生徒だよね?」
「……あ、うん……そう、だけど」
「よかった。今はちょうど誰かと話したいモードだったんだよ。この際知らない人でもいいかなって思ったけど、同じ学校の生徒なら安心だね」
 ぱちん、と両手を鳴らして話を進める。
「私の名前は深沢美雪。一年六組、出席番号は……ごめん、忘れちゃったよ。そっちはどう? 名前とクラス、それにに出席番号。わかる?」
「え……僕?」
「そう。君」
 告げる。強くもなく弱くもない、ただ必要なことだけを伝える声音で。それに促されて、少年はぼそぼそと聞き取りづらい声で答えてきた。
「僕は……その、根岸──根岸孝史(ねぎし・たかし)。ええと──その……い、一年二組の、十九番」
 何故か、自分の所属していたクラスを辿々しく答えてくる。さして疑問を覚えるでもなく、美雪は伝えられた言葉をそのままに信じた。この場で嘘を吐く理由も思い当たらないし、何より嘘だったところで真実を確認しようがない。
「ふうん……一年二組十九番の、根岸君だね。わかった、きちんと覚えたよ」
 拳銃のような形に伸ばした人指し指でこめかみを押さえ、了解の意志を伝える。相手に伝わったかどうかはわからなかったが、美雪はいちいちそれを確認したりはしなかった。
 伝わったかどうかなど、気にしても意味がない。どうせ確認する術もなかった。
 意志とは、伝えようとすることが大切なのだ。
「でもよかったよ。この学校に来る人なんか、もう私ぐらいかなって思ってたからね」
「あ……うん。僕も──その、たまたまなんだ。偶然、来ただけなんだけど」
「私だってたまたまだよ。たまたま学校に来て、たまたま根岸君に会えただけ。凄い偶然だけどね?」
「うん。凄い……偶然だね」
「だけど、この世界にはもう偶然の入る余地なんかないって私は思うな」
「え?」
 孝史が言葉に詰まる。
 彼の理解を待つでもなく、美雪は静かな眼差しで遠くの街並みを見渡した。
 澄み渡り輝く星空の下、彼方まで広がる街は冷淡なまでに姿を変えない。人間が長い歴史をかけて作り上げた、人間のためだけの景観。多くの労力と資材、何より時間を使い果たして、人間の街は次第にその面積を広げていった。
 あるときには壊れて、あるときには再生して。決してそこにあるという事実だけは変わらずに。
 そうして街は歴史を忘れ去りながら、今日もまた変わらず目の前に広がっている。
 もうじき世界が終わってしまっても──人類が一人残らず死に絶えても、街だけは終わることなどないかのように。
「……偶然じゃあ、ないと思う。僕も」
「──え?」
「さっきの……深沢さんが言ってた。あれ、僕もそう思う」
「……私、そんなこと言ったかな?」
「言ったよ。この世界にはもう偶然の入る余地なんかないって」
 孝史が苦笑いを滲ませ言ってくる。
「僕も……そう思う」
「どうしてそう思うの?」
「……そう、思いたいから……かな」
 ──偶然などこの世界にはもう残っていないと、思いたいから。
 それが特別な感傷だとは思えなかった。美雪も深く考えて発言したわけではない。何よりも、ここまで悲しい目に遭っているのだから、これ以上神様の悪戯に振り回されたくはなかった。
 望んだことが叶わなくてもいい。
 願い事が届かなくてもいい。
 偶然に振り回されて、悲しいすれ違いを繰り返すようなことだけなくなってくれれば。
 他にはもう、何もいらない。
「うん。私が言ったかどうかは忘れちゃったけど、偶然なんかこの世界のどこにも残ってないって思うよ」
 神様の気まぐれに左右されない、全てを自分達で決めていく世界。
 誰かを愛するのも愛されるのも、騙すのも騙されるのも、信じるのも裏切るのも──何もかもが、自分達の意志で決定される世界。
 それこそが正しい世界の姿なのだと、漠然とした確信を抱く。
 何が正しいのかはわからない。
 何で正しいのかもわからない。
 ただ、そんな気がしたのだ。
「私が今学校にいるのも、根岸君と会えたのも、ポストが赤いのも電柱が高いのも赤ちゃんが可愛いのも猫がニャアって鳴くのも車が走るのも数学が難しいのも……世界が滅びるのも。全部、誰かが決めたことなんだと思う。誰かが決めて、その通りになったことなんだと思う。だとしたらそれは、どんなに嫌なことだって受け容れるしかないんだよ」
「……うん」
「根岸君はさ、終局だから学校に来たの?」
 何とはなしに尋ねる。半ば予想していたとおり、孝史からの答えはなかった。
 微笑み、続ける。
「私はそうだよ。学校に来るつもりなんてなかったのに、いつの間にかここにいた。終局だからなんだと思う。もう二度と前みたいな学校には来られないだろうなって、わかってたからね」
「……深沢さんは、終局の……その前の学校の方が、好きだった?」
「うん。友達がいたからね。ノガちんとアマちゃんと彩乃ちゃん、希美と香苗と由樹ちゃん、裕子、紀ちゃん……みんながいたから。みんなはそうでもなかったみたいだけど、私は学校が大好きだったな。勉強も試験も大嫌いだったけど、学校は好きだったよ」
「そう……なんだ」
「うん。私ぐらい学校が好きな人って、他になかなかいないと思うな」
 答え、律儀に履いていた上履きのかかとを鳴らす。ぺたん、と気の抜けた音が廊下に響くのを合図にして、美雪は体内に沈殿していた酸素を勢いよく吐き出した。
 孝史は何を言うでもなく、驚くほど静かな表情で押し黙っている。無表情というわけではない──ただ、表情を浮かべるのが億劫なだけといった様子ではある。
 それに関してどう思うわけでもなく、美雪は緩く前髪に指を絡めた。夜風で乱れた髪を手ぐしで整え、小さく頭を下げて一礼する。
「さて。私はそろそろ帰るね?」
「え? あ、うん……もう、帰るんだ」
「うん。早く帰らないと怒られちゃうよ」
「……? お父さんか誰か、厳しいの?」
「お父さん……っていうよりは、お兄さんかなあ?」
 ぼんやりと独白し、美雪はセーラー服の上に羽織ったどてらを翻した。最後に一度振り返って手を振ると、上履きを踏み鳴らして渡り廊下の向こう側へと歩いていく。
 孝史はまだ帰宅するつもりはないらしく、足音はどこまでいっても一人分しか聞こえてこなかった。いつまでもあんなところにいたら風邪でもひいてしまいそうだが、まさか無意味に突っ立っているわけでもないだろうと自分を納得させる──もしそうであったとしても、あまり驚きはしなかった。今更風邪の一つや二つ、と投げやりな気持ちになったとしても不思議ではない状況なのだ。
 行き場もなく立ち尽くすことと、帰るべき場所へと足を向けることと。
 二つの間に大きな違いがあるわけでもない。滅んでいく世界に生きることそのものが無意味だと、そう言われればそれまでなのだ。
 人間はいつか必ず死ぬことが義務づけられている──とはいえ、死ぬまでの期限は誰にも特定できない。おおよその見当なら付けることもできるだろうが、現代科学でも未だ正確な数値の算出は困難だった。あと一年しか生きられないと宣告された重病の患者が、その後何年も生き続けた例だってある。
 だが──終局には、その希望がない。
 完全に、完璧に、閉じてしまう。
 人類が積み上げてきた歴史も、この終局という時代に生まれてしまった人々の営みも。
「みんなと……会いたいな」
 他愛ないことで笑い合えた友人達と。
 また、くだらない話で盛り上がりたい。
 心の底から願い、美雪は儚く溶けてしまいそうな微笑みと共にかぶりを振った。終局の訪れと同時に、友人達は美雪の手の届く場所から消えてしまったのだから。
 天使化した友人もいた。
 突然、何の前触れもなく全身が溶けてしまった友人もいた。
 正気を失い、人を殺して逃げていった友人もいた。
 全身の肉が骨化して、石像のようになって死んだ友人もいた。
 世界の終わりに生まれた奇妙な病魔は、この学校に集中豪雨のように降り注いだ。
 そんな中、美雪はハピネス症候群になった。
 だけどそれは、多分とても幸せな部類に入るのだろう。
 雪がちらつく中、ふらふらと街をさまよって、誰からも声をかけてもらえなかったのは寂しかったけれど。
 それでも、美雪は拓也と会えた。
「……拓さんと会えたんだ。私は、多分この学校で一番幸せな生徒だと思うよ」
 友達がいたら。
 きっと、自慢したに違いなかった。
「……ノガちん、アマちゃん、彩乃、希美、香苗、由樹ちゃん、裕子、紀ちゃん……私は幸せだよ」
 告げる言葉に、頭の中にだけ疑いの声が返される。
 本当に、あなたは幸せですか──?
「……とっても幸せだよ。そっちはどうかな?」
 答えはない。
 だが、誰にも答えてもらう必要はなかった。
 美雪は最初から、全ての解答を知っている。
「幸せなんだね……私ももうすぐ行くから。拓さんと一緒に行くから……幸せになって、行くからね」
 ──幸せなままで、行くからね。
「……死にたくないけど」
 ──それでも死ななきゃいけないからね。
「こんな悲しい目に遭わなきゃいけないほど、私達は悪いことをしたのかな……?」
 寂しげに吹き抜ける風の冷たさと、痛いほど充満した沈黙と、雲間から覗き見える月の明るさと。
 そんなものの全てに、美雪はどうしようもなく泣き出しそうになった。
(ああ──)
 言葉もなく、空に向かって腕を伸ばす。
 精一杯握り締めた掌に、黄金の粒が何粒握られているだろう。
 だがそれらは全てこぼれ落ちてしまうのだ──泣いているだけの人間に、掴めるものなど何もない。
 もっとしっかり掴めないのだろうか。
 せめて星の一粒でも、いずれは全てを押し隠してしまう灰色の雲から救い出してやれないのだろうか。
 自分達が見たり、見た気になっているものは全て、以前この世界を満たしていたもの達の粗悪なコピーでしかないのだろうか。
「……そんなことは、ない」
 確信に満ちて、呟く──
「私は、拓さんと過ごす毎日が楽しくてしょうがないんだから」
 ──粗悪なコピーでは、決してない。

「終局だって、私は幸せだよ」

 世界が滅びるその日まで、あと八十一日。

テーマ : 自作恋愛連載小説
ジャンル : 小説・文学

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プロフィール

神楽坂司

Author:神楽坂司
世界が終わる。
無慈悲に優しく、無造作に哀しく。
無意味に虚しく、無感動に冷たく。
世界は終わる。
終わりの中で初めて紡がれていく、優しくて哀しい人々の絆。避けられない終局を前にしたとき、彼らの選択はこの世界に何を残していけるのだろうか──?

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